市谷亀岡八幡宮は、三韓征伐を行ったとされる神功皇后を母にもつ応神天皇を祭神とし、武神・軍神として、戦時期には戦勝や武運を祈る場として親しまれました。明治期以降は陸軍士官学校に隣接し、陸軍省所管の境界石が残るなど、戦争と軍続きを読む “市谷亀岡八幡宮”
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長谷川時雨旧居:女人芸術社
長谷川時雨旧居は、1928(昭和3)年から1932(昭和7)年まで、劇作家の長谷川時雨(1879~1941)と小説家の三上於菟吉(1891~1944)の旧居として使われ、女性芸術家の創作と表現の場である「女人芸術社」が結続きを読む “長谷川時雨旧居:女人芸術社”
大日本印刷市ヶ谷工場跡
ここ、長延寺谷町の地は、かつて大きな池が広がる谷地形でした。幕末から明治初期にかけては低湿地帯で、生活環境の厳しい地域として、多くの人々が身を寄せて暮らしていました。その後、1876(明治9)年創業の「秀英舎」を前身とす続きを読む “大日本印刷市ヶ谷工場跡”
柳田國男旧居跡
コースから少し足を伸ばしたところに、日本民俗学の父と呼ばれる柳田國男(1875~1962)の旧居跡があります。柳田は、1901(明治34)年から1927(昭和2)年までの約27年間暮らし、多くの文学者や研究者と交流しなが続きを読む “柳田國男旧居跡”
市ヶ谷記念館
現在の防衛省の敷地内に置かれる市ヶ谷記念館は、かつてこの地にあった、陸軍士官学校の一号校舎でした。 1945(昭和20)年の東京大空襲によって、同地の西側一帯は壊滅的な被害を受けました。1946(昭和21)年には、市ヶ谷続きを読む “市ヶ谷記念館”
合羽坂
靖国通りと立体交差する外苑東通りの側道の坂は、「合羽坂」と呼ばれています。かつて尾張藩邸の南側に位置し、藩邸の長大な塀に面していました。また近代には、同地に陸軍士官学校(現:防衛省)が置かれたことから、軍人たちが日常的に続きを読む “合羽坂”
津守弁財天
徳川家康が鷹狩りの際、近くの井戸水で策(むち)を洗ったところ、その澄んだ水が注いでいた池を「策(むち)の池」と呼ぶようになりました。1683(天和3)年、美濃国高須藩主である松平摂津守がこの付近を拝領し上屋敷としました。続きを読む “津守弁財天”
⾦丸稲荷神社
大通りから少し奥まった場所に静かに佇む金丸稲荷神社は、かつて松平摂津守(美濃高須藩)の屋敷地の守護神として創建されました。松平家は尾張徳川家の分家であり、幕末には徳川慶勝・一橋茂栄・松平容保・松平定敬という兄弟を輩出し、続きを読む “⾦丸稲荷神社”
西念寺
西念寺は、1594(文禄3)年、徳川家家臣で伊賀衆頭領の服部半蔵正成によって創建された、浄土宗の寺院です。寺宝として、全長約2.6mに及ぶ服部半蔵の持槍が伝わっており、かつての武士の技と戦の象徴を今に伝えています。しかし続きを読む “西念寺”
平河天満宮
平河天満宮は、1478(文明10)年に太田道灌によって創建され、学問の神として知られる菅原道真を祀る神社です。境内入り口に建つ銅鳥居は、元禄から明治にかけて12代続いた神田鍛冶町の鋳物師・西村和泉家が手がけたもので、千代続きを読む “平河天満宮”