
西念寺は、1594(文禄3)年、徳川家家臣で伊賀衆頭領の服部半蔵正成によって創建された、浄土宗の寺院です。寺宝として、全長約2.6mに及ぶ服部半蔵の持槍が伝わっており、かつての武士の技と戦の象徴を今に伝えています。しかし、1945(昭和20)年の東京大空襲により境内も被害を受け、槍の先端と柄の部分が焼失してしまいました。

正成は「鬼の半蔵」として知られ、1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い、1590(天正18)年の小田原攻めで功をあげ、家康の江戸入府後は、城の警備にあたっていました。「半蔵門」にその名前が残っています。
1579(天正7)年、家康の長男信康が切腹をする際に介錯役を命じられましたが、これを果たすことができず、晩年、信康の菩提を弔うため仏門に入りました。現在の清水谷付近に安養院という庵を結び、これが西念寺の起源になったと伝わっています。
1593(文禄2)年には家康から寺院を建立するよう内命を受けるも、1596(慶長元)年に55歳で亡くなりました。安養院は服部家の菩提寺に拡張されて西念寺となり、1634 (寛永11)年の外堀拡張・新設工事にともなって、現在の場所に移転しました。境内には正成の墓のほか、服部家累代の墓、信康の供養塔が残ります。