大通りから少し奥まった場所に静かに佇む金丸稲荷神社は、かつて松平摂津守(美濃高須藩)の屋敷地の守護神として創建されました。松平家は尾張徳川家の分家であり、幕末には徳川慶勝・一橋茂栄・松平容保・松平定敬という兄弟を輩出し、幕末の動乱に深く関わった名家です。そうした屋敷地に起源をもつ神社として親しまれています。

明治期に入り藩邸は姿を消しましたが、庭園は景勝地として保存され、その周囲には花街が形成されました。金丸稲荷は地域の守護神として信仰され、生活の営みや娯楽の中にひそやかな安らぎをもたらす存在となりました。また、近くに陸軍士官学校が置かれたことで軍人たちの遊興地としても栄え、地域の花街文化と軍都文化を象徴する存在となります。

こうして金丸稲荷神社の歴史を辿ると、戦乱の渦中にあった名家の屋敷から、日常の営みを守る神社、そして花街や軍都文化と結びつく場所へと、移りゆく時代に合わせて役割を変化させ、人々の暮らしとともにあり続けていることが分かります。