徳川家康が鷹狩りの際、近くの井戸水で策(むち)を洗ったところ、その澄んだ水が注いでいた池を「策(むち)の池」と呼ぶようになりました。1683(天和3)年、美濃国高須藩主である松平摂津守がこの付近を拝領し上屋敷としました。庭園の池や湿地に包まれるように佇むその姿は、藩邸の守り神として、水の神として祀られていたことを彷彿とさせます。

1872(明治5)年、政府による廃藩置県が発令されてこの池が解放されると、花街として整備され、近くには陸軍士官学校が置かれたことで、軍人たちの遊び場としてもにぎわうようになりました。信仰の対象は水神から、芸能や芸事をつかさどる弁財天へと変わり、人々の暮らしや楽しみの中で、ささやかな安心や喜びをもたらす存在として受け継がれてきました。