

市谷亀岡八幡宮は、三韓征伐を行ったとされる神功皇后を母にもつ応神天皇を祭神とし、武神・軍神として、戦時期には戦勝や武運を祈る場として親しまれました。明治期以降は陸軍士官学校に隣接し、陸軍省所管の境界石が残るなど、戦争と軍事の痕跡が刻まれています。

境内に残る「八紘一宇」碑は、当時の国家が掲げた理念と信仰を結びつけ、現代にもその余韻と問いを残していると言えます。

創建は太田道灌の時代にまで遡る由緒ある神社ですが、1945年の東京大空襲によって社殿や境内の建物は焼失してしまいます。残された銅鳥居は、神田鍛冶町の鋳物師・西村和泉家5代目・西村和泉藤原政平によって造られたもので、戦前から続く技術と信仰のつながりを今に伝えています。
